2021.09.07

 9月になった。春が来て夏も来てすでに秋になった。

 驚くべきことに緊急事態宣言はあれからたびたび出されたり引っ込められたりしてまだコロナ禍は終わっていない。オリンピックもパラリンピックも感染者を急増させながらも幕を閉じた。ワクチン接種は1月の段階よりもだいぶ進んだが、まだ私は受けることができていない。

 私は自暴自棄になっている。恋人らしい人もいるのだが、何も満たされず、虚無のうちに暮らしている。良いことと言えば、新しい冷蔵庫を人からもらったことくらいだろうか。あと料理をそれなりに作るようになってきたこと。仕事は忙しくなってきた。あまりうまくいっていない。職場ではちょっと孤立しているような感じもあるし。

 実際に本当に自暴自棄というか、何をしても楽しくないという状況である。夜な夜な近所の飲み友達を酒を飲んでも、女の子のいるお店に行っても、恋人といても楽しいという感情をあまり感じることができなくなってきた。鬱病の入り口に立っているのかもしれない。そういえば、実家の方で祖父が自殺未遂したり、鬱病の父が精神を悪化させながら介護をしていたりということも私の精神面に少し影響しているのかもしれない。

 が、とりあえず、健康ではある。酒はよく飲んでいるしタバコもこの歳になって吸うようになってしまったが、身体は元気だ。

 タバコは肺に入れるとすごくくらくらする。正直もう吸わなくてもいいと思うが、惰性で吸っている。

 来年には引っ越そうと思っている。この自暴自棄は、自分の思うような生活が送れていないからではないかという気がするからだ。もともと私はそんなに話す方ではないし、無理に人と関わらずに、自分の読みたい本を読んだり、自分の考えをここのようなどこかに書きつけたり、勉強をして知見を広げたり、音楽を聴いたり、絵画や映画を観たりというような文化的なことだけをして暮らしたいと思っていた。しかし、いまはそういうことは何もできていない(できたときはあったかというとなかったかもしれない)。

 だって、いつも気分が乗らないから。

 では、どうやったら気分が乗るのかというとよくわからない。全てがうまくいっていればいいのだけれどそういうことは滅多になるものではない。仕事がもっとうまくいけば気分はいいのだと思うが、私生活で自分の理想の過ごし方ができていないと満足感がなく、また元に戻ってしまうのではないか。もちろん、仕事がうまくいくこともそんなにないのだけれど。細かい失敗をしながら業務を遂行しようとがんばっている。

 この楽しくなさ、気分の乗らなさを一掃するには、一度すべてを仕切り直すことがいいように思っているので、来年に引っ越して心機一転目指すべき生活を送る予定だ。とはいっても、その引っ越しの予定は8月なのであと1年近くもある。それまで、この気分の乗らなさが続くのかと思うと不安だ。

 気分を上向きにするには何をしたらいいだろうか。自分の思ったことがうまくいくこと。つまり、計画通りに物事が進んで、未来が明るい感じを手に入れること。新しいことを始めること。人を笑わせること。運動をしたり、お風呂に入ってリラックスすること。酒は飲まないほうがいい。アルコールの離脱症状か何かで酔いが覚めたときのどうしようもないやるせなさが辛いからだ。それに、健康とは言ったが、明らかに酒を飲んだときの記憶の欠落が著しい。自分の言ったことや相手から聞いたことを覚えていないというのは素面の時に直面するとそれなりにショックだ。これ以上ぱっぱらぱーになるわけにはいかない。飲酒はほどほどにしたい。

 

 今日この文章を書き始めたのは、近況のどうしようもなさを書きつけることにあるのではない。自暴自棄の中でガールズバーに行くようになり、一人の子を指名するようになったのだが、その子に対して自分の立ち位置がよくわからなくなってきたから頭の中を整理したかったからだ。

 もともと、涼しげな顔のどちらかと言えば童顔で色白でショートカットでタイプだったからはっきりって好きだし、あわよくば付き合いたいとさえ思って指名し始めた。しかし、そういう気持ちを隠して私は自分の中で言い訳を作りながらここまできている。その言い訳は以下の二つである。

 ①「自分は何をしても楽しくないのだから、自暴自棄キャンペーンの一環として、女の子のいる店で金を多く使っているのだ、せっかくなら誰か指名してその子を中心に遊んだほうが楽しくなるのではないか、スポーツだってどこでもいいから応援するチームがあった方が観戦は楽しいはずだろう」

 ②「一人の子を指名し続けて、その子に入れあげているようにしているのはポーズであって、本当は自分は何をしても楽しくないという問題があり、その問題を緩和するために入れあげているふりをしているのだ」

 正直、この二つは半ば正しい。今でも楽しいかと言うとそんなに楽しくはない。むしろ、辛い。客と店員という金でしかつながっていない関係性の中で自分のどうしようもなさを目の当たりとさせられながら金を払い続けるというのは辛すぎる。まだ、この子と付き合ったりして自分のものになるのであれば楽しくもなろうがそういうわけでもない。相手は同い年で手練れだし、私のことは優し目のよくわからない客というふうにしか見ていないだろう。もう自分が無理をしながら会話をして、払いたくもない金を払って今の状態を続けていくことが心底嫌になっている。

 それでも、あの子が好きというのは本当なのかもしれない。実際、四六時中あの子のことを考えているし、付き合いたいなぁと常に思っている。だが、一方で本当に辛く苦しい。こう表現すると恋の様相をかなり呈しているように思うがそういう面を考慮せずも苦しい状態だ。

 輪をかけて今の自分の立場をわからなくさせているのが、同じ子を指名していたおっさんがおり、そのおっさんは私の人間関係上の一角でひと悶着あって消えていったのだが、そのおっさんと私は同じ穴のムジナではないかということだ。

 そのおっさんは、その子のことが好きで目をつけて、私によくわからないマウントを取ってまでその子を手に入れようとしていたのだが、私は「あの子のことを手に入れたいおっさん」といったい何が違うのか。おっさんのことを「昔、他の店の子に年甲斐もなく、本気になってプロポーズして断られてたんだぜ」などと馬鹿にしていたが、では、私はいったい何なのか。自分の中に言い訳を用意しているとはいえ、あの子のことが好きで何としても手に入れたいという点では、そのおっさんと同じではないのか。ここで私の中に、自分自身で新たな言い訳が育ちつつある。

 ③「自分は客と店員という関係をわかっており、楽しく時間を過ごせさえすればいいという立場で店に来ているのであって、分別をわきまえているのだ」

 もちろん、これも単なる言い訳の域を間違いなく出ることはないだろう。すでに本当に入れ込んでいるからだ。しかし、おっさんの件があった以上、それを全面に押し出すことはできない。そして、いま楽しくないからどこまでいってもこれは言い訳だ。あの子には会いたいし、もっと話したいし、もっと知りたいのだが、もう自分では到底無理だということを突き付けられすぎて本当に苦しい。話すことが苦手だし、気を遣わせてしまっている。また、自分の一貫性が無さ過ぎて、酔いに任せて他の子に目移りする様をあの子に見せてしまったりしており、よりあの子に仕事感を出させる遠因となっている。はっきり言って素直に楽しくない。

 だが、あの子と会いたいし、付き合いたいというこの状態はどうしたらいいのか。

 私なりに、一つ予想はついている。このどうしようもない状態が来年の引っ越しまで続き、引っ越してすべてに終止符が打たれるという予想だ。現実的な線ではこの計画を実現させるしかないと思っている。そうすれば、自分が持ってきた言い訳①~③のすべてを保ったままきれいに今の場所を去ることができるから。

 自分で自分をより苦しい状態に持って行っている。もはや意地であの店に通っている。本当に私は愚かだと思う。「本当に付き合ってほしい」ということを前面に押し出すことなんて絶対にできない。口が裂けても愛の告白などできない。私自身の一貫性がなくなるからだ。自分のプライドが何よりもそれを許さない。

 一つ、夢物語の線がある。「あの子が私のことを好きになってくれる」という線だ。そんなことをまずどう考えてもないのだが、諦観9割9分の中でその線に期待をしながら自分を取り繕って1年間を過ごそうと思う。この線しか楽しくないから。

 だから、私はあの子の店にまた行くし、できる限り、優しくして話を聞いてあげて、褒めてあげて、楽しませてあげて、少しでも好きになってもらえるように頭を悩ませる。時間と金とをたくさん無駄にしながら。これが当面の計画である。