Twitterによる自己分析―私はいったい何に興味があるのか―

 

 COVID-19が流行ってからの自粛期間、何をしていたかと言えば、自己分析に時間を費やしていた。最初は外に走りに行くなどしていたわけだが、それも億劫になりもっぱら部屋の中でPCをいじるだけとなっていた。

 

 具体的にはTwitterの過去の投稿をまとめ、主題別に分類するという作業をしていた。PC上で文章をうまくまとめるには、良いインターフェイスを持つソフトやアプリを知らないのでデータをExcelに移し、それを印刷し、カッターでつぶやきごとに裁断し、個別の短冊となったつぶやきをセロテープで貼り付けるというかなり幼稚園児の工作じみたことをしていた。セロテープでまとめたつぶやきはさらに見やすくするために一回り小さく切り、紙に貼り付け、つぶやきの先頭にこのつぶやきの一群が表していると思われる主題を振った。10年分のデータはそれなりの量があり、まとめるのに1か月ほど要した。

 

 主な分類項目としては、以下のような6項目を用いた。比較的学術的な興味と思われる内容がつぶやかれている「疑問と論考」、これからの生活の中で実践してみたい着想をまとめた「暮らしの中でやってみたいこと」、自己分析色が最も強く、現在の私自身の課題や志向をまとめた「生き方の模索と理想像」、文芸創作などに役立てられそうな着想の元ネタやイメージを集めた「イメージの種」、見た夢をメモした「夢のメモ」、名言や自分以外の人がつぶやいていたお気に入り、RTで回ってきたもの、小説や本からの引用などをとりまとめた「引用・名言集」。さらにこれらの項目の中に中項目、必要があれば小項目を設け、主題別にとりまとめた。

 

 Twitterのデータを紙に貼り付けることによって一通りまとめたわけだが、作業としては、まだ先がある。これらの内容はこのまま紙にしておくのではなく、これからのつぶやきとつなげていきたいので、電子化する必要がある。つぶやき自体は既に電子化されているのだが、主題毎のまとまりでつなげたものを電子化しているわけではない。そのため、現在行っている作業は紙にまとめたことを再検討し、PCで文章に書き起こすということを行っている。とりいそぎ、Excelに入力し主題別にシートを分けている。この入力したものをさらに精査し、より大きな塊へまとめることができるはずだが、その作業は文章を追加し、かつ考えることも多いので、切って紙に貼り付ける作業より時間を要するだろう。気長に取り組んでいくつもりだ。

 

 これからもTwitterで何かしらをつぶやいていくわけなのだが、今後はこんな工作じみたことはやりたくないので、アプリを用いて管理していくことにした。具体的にはTwitterをIFTTTでTrelloと連携させ、つぶやきが自動的にTrelloに投稿されるようにした。加えて、お気に入りにしたものは自動的にOnenoteに保存されるようにした。Trelloはインターフェイスがかなり優れたアプリであり、ドラッグしてカードを取りまとめることができるという利点がある。その作業こそ私がつぶやきをまとめるときに欲しいなと思っていた機能だった。これからはつぶやきが一定以上まとまった段階で、Trello上で主題毎に編集していく予定だ。なお、Trelloでの編集がしやすいように、先ほどの6項目に対応した番号を付して、つぶやきを投稿するようにしている。Onenoteについては、つぶやきの自動投稿以外にも、ワンクリックでOnenote上にクリップできるchrome拡張機能を見つけたため、それを利用している。これらのことが、今後の作業が効率的になることを祈っている。

 

 さて、私はなぜこのようなTwitterのつぶやきの分析をしたいるのかと言うと、大きく二点ほどある。

 ①自己分析をし、自分自身が何に興味があるのかを明らかにしたかった 

 ②つぶやきを取りまとめたものをブログに文章として書き、文章力の向上につなげ、かつ、考えたことをWEB上にストックしておきたいと思った 

 

 ①については、以前からぼんやりとはわかってはいるのだが、自分が興味を持つ事柄は自分自身の過去のつぶやきを見ればその頻度などでより明確に判別できると考えた。むろん、ぼんやりとした形であれ、自分の興味あることは当然自分のことなのだから誰でも自分でわかっていて、ふつうはその興味に基づいて先に本を読んだり、勉強をしたりするのだと思うが、いかんせん私はエンジンがかかるのが遅く、勉強の前に延々と机の掃除をしてしまうようなタイプだ。だからまず、整理できるものがあればそれを整理してから勉強に取り掛かりたいと思ってしまう。整理整頓よりも優先順位が低い興味ってそれは本当に興味のあることなのだろうか、という疑問はあるが、そうしないと体が動かないのだからしょうがない。とりあえず、この整理整頓は楽しい作業ではある。 

 

 ②はその興味あることについて調べたこと、考えたことをまとめたものを文章にしてWEB上に出すことによって少しでも読んでくれるような人がいればモチベーションの向上につながると思った。

 

 しかしながら、ただ興味あることについて、まとめたり、自分自身で調べたりしてもどうなるわけでもない。自己満足にすぎないのかもしれない。論文のようなものを書くにしてもそもそものアカデミックなプロの人々と比較すると、考えられることやそもそものアクセスできる資料などに大きな差があるので、そのような人々から見れば私が出す結果というのは幼児のお絵かきのようなものに等しいだろう。(いや、私は少なくともそうのようなものになるだけで、実際在野の研究者などは存在しているわけだし、全員が全員そうだというわけではないが)

 

 では、我々は真理や発見について何事かを説得力をもって示すことはできないのか。そんなことはない。真理を提示する形には様々な方法がありうる。説得力を持った論文という形で示す以外にも、文芸的な世界における真理の表し方というものがある。むしろ多くの一般の人々にはこの方法しか残されていないのではないか(そして、志す人が異常に多い分野である)とさえ思える。文芸作品においては、論証を必要とせず、自分の見解についてイメージを伴って示唆することができ、それはかなり多様な形態がある。多様な形態があるため、また、多くの人が論証なく作品を作るためゴミに等しいものも多い。玉石混交の度合いが甚だしい分野だと言える。

 このほかにも、文芸作品でなくても電子工作やプログラミング、集団での活動による業績、フィールドワークによる発見、動画の作成、社会活動等、やはり実際に自分で動いて何かをする、作るという方法が、一般の人々が真理(もしくは新しい何かの視点)をもたらしうることができる堅実な方法なのではないだろうか。わかりにくくなったが、理論の構築よりも理論の実践を突き付ける、という方法が我々には手が届きやすいということが言いたかった。

 

 私はできるかぎり、論理的な文章で自分の考えたことをまとめてみたいという気持ちが強い。そのため、このような自己満足的な形であれそれを続けていくつもりだ。その一方で、私自身は文芸作品にも興味あるので、その方面でも自分で考えたこと、興味のあること、面白いなと思ったことを作品という一つの世界として形作っていければいいなと思う。